とことん話をしてみないと、その人のことってわからないなあと思うことがよくありますが、夫も例外なく、そうです。
「夫は日本人だと思っていたけれど、日本人の顔をした宇宙人なのか?」と思うことがよくあります。あまり考えすぎないようにという神さまの取り計らいなのか、気づくとすっかり忘れています。
今日は、手話教室の日。
私の選ぶ表現に関して、夫が「それは違う」とかコメントしてきて、あーでもないこーでもないと、夫婦の話し合いになってしまい、周りの人が眠たそうにしている、というパターンになって、困っていました。
手話教室が終わってから、教会の多目的ホールで、円卓の横並びなのだが向かい合って、夫と1時間ほど話しました。議題は「イエスが愛したように」という賛美について。
夫/歌詞にある「ともに支え合い」はありえない。
私/は? どうしてそう思うの? 私たち、夫婦として支え合っているでしょう? いつも食事のあと、お皿を洗ってくれるでしょ。
夫/それは自分のためにやっている。
私/え~っ、そうだったの?
夫/同時に支え合うのは無理です。
私/は? 富山と川崎でOKって意味?????
夫/離れているなら。
・・・らちが明かないので、「じゃあ帰るか」と立ち上がり、玄関に向かう途中で、エリヤ先生に「話し合いをしておられたんですね」と声をかけられました。「手話教室の反省会なんです~」と言ったら、「うちでもよく、夫婦で反省会やります(笑)。話し合えるパートナーがいて感謝ですね」とのこと。
帰省土産を買いにバスに乗っている間、ふと、神の声。というか、気づきがあり、夫に伝えたくなりました。
私/さっきの話の続きだけど、「支え合う」ってさ、貧血とかで倒れる人の全体重を両手で支えるっていう意味で、あなたは言ったのね。2人が並んで立ってたら、支えるの無理だけど、離れて立っていたら、ひとりが倒れるのを支えられるかもしれない。でも、私は、これは精神的な支えを言っていると思うの。あなたは、そう思わなかった?
夫/思わなかった。
私/そう、思わなかったのね。私は、悲しいときに、だれかがそばにいてくれて、話を聞いてもらうだけで「支えられている」と思うことがあるの。そういう気持ちはわかる?
夫/うん。
私/この賛美は、礼拝でも賛美されているし、結婚式でも、(誓約のときに)聖歌隊で賛美したよね。
夫/どうしてだろうと思っていた。意味がわからなかった。
私/そうだったのかあ~!
夫/じゃあ、その場合の「支える」の手話は、どうやったらいいんだ?
帰省土産を決めたあと、私たちは抹茶ミルクソフトを買った。近くのスーパーで、ハー○ンダッツのアイスクリームが188円になるときしか買わないけち臭い私たちなのに、今日は、1つ390円のソフトクリームを迷わずに買った。無言で味わった。
そして夜、生き物の番組を見ていたとき、ミゾゴイという鳥が、危険を察知すると、直立不動、枝に擬態すると知った。
♪その(神の)愛の中で~枝となるとき~
「枝となるとき」
夫の前で、気をつけの姿勢で首を突き出してみた。夫は笑っていた。