いたわり合う

火曜日の話。

午後、約束の時間に遅れてしまうと思って、急いで歩道を歩いていたら、左手に激痛を感じた。後ろを見ると中学生ぐらいの男の子が自転車に乗っていた。「あ、すみません」と言って行ってしまった。どうやら私は自転車のハンドルに勢いよく手をぶつけたらしい。私は大きく手を振って歩く癖があるから。ハンドルを握る男の子の手にも、かなりの衝撃が伝わったことだろう。

小指の下の柔らかい部分。げんこつで机を叩くときに机にふれる部分。(なんて言うパーツなんだろう?46年生きているが、知らないぞ・・・)が、内出血して、ジンジンする。手を心臓より上に上げていれば良かったんだろうけど、講演会だったので、手をひざの上において、ジンジンジンジンしていた。頬づえをついていればよかったのか?

驚いたのは、ぶつけていない方の手も、同じようにジンジンしていたこと。痛みを分かち合っているんだなあと感動してしまった。

土曜日にはパソコン要約筆記の奉仕があるので、ちょっと不安になったが、その日の夜には、いつもと変わりない高速入力ができたから、良かった。

「それは、からだの中に分裂がなく、各器官が互いにいたわり合うためなのです」聖書

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