とりなしの祈り

新型コロナウィルスの感染が世界に拡大していて、私たちをテレビに釘付けにし、恐れや不安でいっぱいにしようとしています。私たちは情報源を選び、震源地である武漢のためにも祈ります。武漢は都市封鎖と言われていますが、イエスを主と信じる民がその地に留まっています。彼らは、クリスチャン弾圧という苦難に遭いながら、防護服を着て、街へ出て、人々にトラクトを配り、福音を伝えているそうです。まさに命がけです。イスラエルを支援するBridges for Peaceという団体のメールマガジンに、2月8日付けで、祈りの要請が載っていました。そのメールから抜粋。

武漢市に住む、匿名の中国人牧師より「危機的な状況ではありますが、私たちは主の約束に信頼しています。私たちに対する主の思いは災いではなく平安であり、私たちに試練の時を許し、滅ぼすのではなく私たちを建て上げてくださいます。ですから、クリスチャンは、街の人と共に苦しむだけでなく、恐れている人々のために祈り、イエス・キリストの平安をもたらす役目があるのです。まず、キリストの平安が私たちを支配しますように。・・・武漢の疫病はキリストの愛から私たちを引き離すことはできません。・・・キリストに目を向けてください。私の幸せを心配したり、動揺したり、恐れたりしないで、イエス・キリストの名によって祈ってください。・・・もし、あなたが祈る重荷を感じることができないなら、愛に満ちた心を、熱心に祈る心を主に求めてください。私たちは確信しています。この街が救われるのは、主の憐れみという希望を通してのみなのです」

すごい。すごい(☆。☆) 神への信頼が。祈れない私が祈れるようにしてください。イエス・キリストのお名前によって。

いよいよ明日からイスラエルです。先週は、夫から、最長90時間録音できるICレコーダーと電池を託されました。向こうで羽をのばすつもりでしたが、ガイドさんのあとをくっついてちょこちょこ歩き、録音と充電を気にしながら過ごすことになりそう。今まで、夫の補聴器経由で録音していたので、楽だったんですが。でも、「初めて」を楽しんできます。

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